吉備津彦神社〈神像・神馬・古文書・頭部を欠いた大佛・不忍池〉 ガラス乾板

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商品情報

12×16.4㎝
写真乾板12枚

【箱の表記】「吉備津彦神社」

・画像1 全ガラス乾板のポジ画像一覧
・画像2 箱に記された「吉備津彦神社」の画像
・画像3~8 ガラス乾板原板12枚
・画像9 江戸時代の「不忍池」の図

06  神像・神馬
07  縦書きの文
08  吉宗 鷹狩時所持の扇
09  古文書
10  古文書
11  吉宗 鷹狩時着用の足袋              
12  境内の樹?     
13  頭部の無い露地の大仏
14  頭部の無い露地の大仏
15  頭部の無い露地の大仏
16  不忍池
17  境内の樹?

【因みに】
・「吉備津彦神社」《ウィキペディア》に依る。
 岡山県岡山市北区一宮にある神社。備前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称を「朝日の宮(あさひのみや)」。

 ところで、吉宗の「鷹狩」関係の奉納品と思われる「扇」「足袋」の画像があるが、「倹約を目指した(後出)彼が、岡山の「吉備津彦神社」まで出かけるはずがない。おそらく江戸近辺の「末社」の「吉備津彦神社(ネットで検索したが、残念ながらヒットしない)」なのだろう。
 あまり関係ないのだろうが「不忍池」の画像もある。「頭部のない大仏」の画像も揚げてみると、江戸近辺の神社仏閣で撮影したものと考えた方が良さそうである。
 
【参考】
・徳川吉宗の鷹狩り《ウィキペディア》に依る。
 八代将軍吉宗は将軍に就任すると正徳6年(1716)直ぐに「鷹狩」を復活させた。享保元年(1716)10月には
『御留場』を再指定して、江戸十里四方を鳥や動物の威嚇や殺生を禁じた地域とした。
  鷹狩りが復活すると弘前藩津軽家は24年ぶり鷹献上を再開する。そして、享保2年(1717)に吉宗の初めての鷹狩り「鷭御成」が亀戸・墨田川河畔で行われた。
 倹約を目指した吉宗にとって家康政治を範とする鷹狩だが、幕府財政の逼迫のため規模を縮小して行った。そのため江戸近郊の馬込村・新井宿・不入斗付近でも行われた。

・「不忍池」《ウィキペディア》に依る。
  1625年、江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ、弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を建設した。当初の弁天島は文字通り船で渡る島でだったが、1672年に弁天島から東に向かって石橋が架けられ徒歩で渡れるようになった。

【刊期等】不明。

※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による乾板の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。


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